再び天空の城へ
高知は川遊びが主流!天気のいい日に部屋の中にこもっているなんてもったいない。
ということで、やってきました汗見川。川に汗が映るほどきれいなことからその名がついたそう。照り付ける太陽と川の冷たさがマッチしてる。お盆ということもあり、子供たちがたくさん遊びに来ていた。
もはや恒例とも思われる飛び込み。水しぶきあげるのが楽しくて楽しくて。子供に戻った気分になれる。やはり美しい本山の自然。
「風がやわらかい」と誰かがつぶやいていた。きれいな言葉だ。この場所に似合う言葉だ。
そのあとは、再び天空の城にお邪魔した。前行った時と変わりなくゆっくりと時間が流れる。
ここでも一歩踏み出せば川に遊びに行くことができた。
トンネルのさきにあった。
遊びに来た時々で表情を変える自然の姿や、新しい場所に行くことにワクワクしっぱなしだ。
最後はクラウンガルテンに行った。まずはクラウンガルテンって?というところから始まった。(詳しくは、ウェブで検索)
きっとここで見る星空は最高だろうと確信できた。将来年老いたときに、住みたい。
ここはわたしの地元と深く関わりがあることを知って、ここまで来たことに運命を感じた。
気づけば過行く時の中で、ふと忘れた癒しの時を与えてくれる。
やはりわたしは自然が好きだ。
Yosakoi!!
高知のよさこい祭りについて、その魅力を語りたいと思う!
初めてよさこい祭りというものを体感し、久しぶりの興奮を味わった。どの連でも、踊り子はキラキラした目で踊っていた。高知を一色に染めるようなこの祭りが私は大好きになった。
よさこいの良いところを挙げたい。
①年齢に関係なく楽しめること
子供から大人まで同じ衣装で同じ振り付けで踊る。みんなで楽しめる。こどもが懸命に踊る姿は、見る人に元気を与える。
②国際交流の場になる
よさこいは国境までも超える。言葉や肌の色に関わらず一つになって踊る連があった。また外国人観光客もたくさんいた。よさこいが国を超えて交流の場になっていることを肌で感じた。
③一人でも楽しめる
よさこいは4日間を通して行われる。一人で見に行く機会があった。一人でも大丈夫!とにかく楽しい。目でも耳でも楽しめる。
まだよさこいを見に行ったことがない人に伝えたい、来年は絶対行くべきだ。私は来年は踊り子として参戦することを夢見ている。
Sisyo
今日は、師匠について書きます。
大学のサークルが初めての出会いだった。高知について何も知らない私を、いろんな場所へ連れていってくれた。安居渓谷も、五台山も、だいちハウスも全部師匠が連れていってくれた。
私が師匠についてとくに尊敬する部分は、行動力が半端ないこと。
世の中で必要とされるものって学力とか、運動神経とか、美しさとか、人より特価した才能とか・・・表向きではそう思われがちだけど、私は行動力が一番大切だと思うんだ。何か、ワンアクション起こしてやろうとたくらんでる人って本当に強いと思うんだ。師匠を見てそう感じた。
師匠といえども、女たらしだし、金遣い荒いし、酒癖がひどいし、、、(もし師匠がこのブロブ見たら、確実にしばかれるようなことを書いている)欠点がないわけではないんだ。でも自分の境遇がどんなに悪かろうと笑い飛ばせるところや、コミュ力が半端ないところとか、私が持っていないものをたくさん持っている。(一応恋人も持っている笑)そういうところは、本当に見習いたい。
いつかわたしも師匠のように旅に出たいな。自分の中の黒い部分を全部ぶっ壊せるような体験をしたいな。
いよいよ夏が始まる。何か一つでも自分が変わったと思える瞬間を見つけに行こう。
でんでんむしの悲しみ
昨日は眠れなくて、悲しいような、楽しいような夜だった。
すぐ日が昇って、すぐに散歩したい気分になった。
無心に坂道をのぼって、上まで来たら景色がきれいだった。
のぼればのぼるほど、景色は美しくなるものだ。つらくなったら振り返ってみるのもいいかもしれない。人生においてもそうなんじゃないかな。
かえりみちには、小さなでんでんむしを見つけた。小さいころに「でんでんむしの悲しみ」っていう絵本読んだの思い出した。
人は、悲しみを背負って生きている。
その悲しみ、しっかり背負えていますか?
って、だれに問いかけることもなく。結局は、自分に言い聞かせている。
人間不信の定義
最近、人が怖い。これって人間不信なんじゃないか!?(たぶん思い込み)とおもったので、自分なりに人間不信の定義について考えてみることにした。
ある人が「人間不信は逃げだと思う」と言っていた。確かに、人が怖いと思うことは、人と向き合うことから逃げてるのかもしれない。本当は、私のことをちゃんとわかってくれる人を探しているのかもしれない。心の闇を隠していながら、それをやさしく包んでくれるような誰かを求めているのかもしれない。わたしが考えるに、人が信じられないのは、過去と現在にとらわれ過ぎているためだと思う。過去に人に傷つけられた経験や、今心の中にあるわだかまりに。これらをきれいさっぱり捨てることはできないだろう。じゃあどうする?どうする?
自分を信じよう。ここまで長い間つきあってきた自分を信じよう。人を信じる前に、信じてもらえるような自分になろう。これが私の出した結論だ。
後ろばかり見てたら明日が悲しむから、人は前に進むしかないんだよ
どこかで聞いた歌が体の中に響いてきた。
誰よりも信頼できる自分を探しに行こう。